はやぶさ2、小惑星リュウグウにタッチダウン成功

2019年2月22日(金)7:48(地上時刻) 、小惑星探査機「はやぶさ2」は、小惑星「リュウグウ」にタッチダウンした。

11時からの記者会見の冒頭、壇上に立った津田PMは、詰めかけた報道陣からフラッシュの光を浴びながら、一単語ずつを区切り、噛みしめるように告げた。

「本日、人類の手が、新しい、小さな星に届きました。」

タッチダウン成功を告げる津田プロジェクトマネージャ

テレメトリ(探査機から送られてくる、状態や挙動を示したデータ)を解析したところ、プロジェクタイル発射コマンドが実行されたことと、その時刻に温度が上昇していることが確認され、このことからプロジェクタイル(弾丸)が発射されていることが判明した。初代「はやぶさ」から14年の雪辱を果たしたことになる。津田PMは、タッチダウン後に川口淳一郎教授(「はやぶさ」PM)に「「はやぶさ」の借りは返しましたよ」と言ったとのことだった。

5時間遅れで始まったリュウグウへの降下は途中で遅れを取り戻した。高度500mのデータに基づく最終Go/NoGo判断の後、機体側の自律判断に切り替わると極めて順調に進み、事前に示されていた時刻より約40分早い着陸となった。これは予想外や予定外のことではなく、最も早い時刻・最も遅い時刻を想定した中で、最も早い時刻に降り立ったのだということだった。このことについては登壇者一同が「完璧なタッチダウンだった」と表している。

弾丸発射と判断する根拠となった温度計のグラフを片手に説明する。

タッチダウン直後の画像も公開された。リュウグウ表面に映る「はやぶさ2」の機影と共に、小惑星表面に鮮やかに刻まれたスラスタ噴射の跡が見て取れた。更に、タッチダウンによって巻き上げられた砂や小石まで映り込んでおり、サンプル採取成功を期待させる一枚でもある。

機重約600kg、太陽電池パネルを広げた差し渡しは約6m、小さな探査機が、約3億4000万kmの彼方で成し遂げたことをよく表した1枚だった。

タッチダウン直後に「はやぶさ2」が撮影したリュウグウ表面。中央のグレー部分が噴射の跡。周辺部に写るピンぼけの黒い点は、タッチダウンによって巻き上げられた砂や石の粒。   (C)JAXA/ISAS
タッチダウン直後の画像について説明する津田PM
ターゲットマーカがどこにあるか探す津田PMと吉川教授。受信直後の写真のため、初々しい反応である。
成功祈願のダルマ。瞳の形はリュウグウを象り、着陸地点を示す「L08-E1」の文字が添えられている。

このタッチダウンは、午前6時からインターネット中継もされていた。中継の冒頭には、國中均宇宙研所長(「はやぶさ2」前PM)が登場し、コメントを述べた。以下、文字起こしを載せる。

「はやぶさ2、前プロジェクトマネージャーの國中です。現在のはやぶさ2の状況を皆さんにお知らせします。
Gate3チェック、オールグリーン。RCS充填120%。AOCU、パラメーター登録完了。LIDER、LRF、OSC-CAM、パワーオン。
プロジェクタイル、セイフティーロック解除。自動着陸シークエンスは既に開始されました。
高度、300mに到達。総員、耐ショック・耐閃光防御取れ。これよりはやぶさ2の着陸を開始します。以上です。」

「宇宙戦艦ヤマト」の波動砲発射シーンを踏まえた言い回しに、記者席、登壇者から温かな忍び笑いが漏れた。


同日、宇宙研相模原キャンパス向かいにある相模原市立博物館で行われたパブリックビューイングには、早朝6時からの開始にもかかわらず、約200名が詰めかけてその瞬間を見守った。


ここに至るまでの道は、決して平坦ではなかった。2014年12月3日の打ち上げ後は大きなトラブルなく進んでいるが、何度も壁に当たり、それを乗り越え、あるいは回り込み、時には打ち砕き、細い道を縫うように進んだのが「はやぶさ2」プロジェクトであった。

「はやぶさ2」につながる計画が立ち上がったのは、2006年4月のことだった。

翌年10月、最初の試練。JAXAはこの計画に対し「予算不足のため国産ロケットでの打ち上げは断念し、他国のロケットでの打ち上げを行うこととする」という基本方針を示した。

2009年度、事業仕分けによってまたも試練に遭った。JAXAは翌2010年度の「はやぶさ2」予算として、当初16億3000万円の要求を予定していたが、政権交代を経て5000万円の要求に減額した。そしてそれが事業仕分けの「縮減」判定を受け、3000万円まで減ってしまった。

翌2010年度は、初代「はやぶさ」帰還とサンプルリターン成功が追い風となって、「はやぶさ2」は開発研究フェーズに移行した。

そして2011年3月11日、東日本大震災発生。未曾有の大災害に、日本は大きなダメージを受けた。このような中に始まった初代「はやぶさ」の帰還カプセルの全国巡回展示は、明るい希望をもたらした。日本の宇宙開発プロジェクトとしては空前絶後の3本の映画の制作が発表されるなど、「はやぶさ」とその後継機には非常に強い追い風が吹いた。この年の5月、「「はやぶさ2」プロジェクトチーム」が発足した。

続く2012年度予算は、「日本再生重点化措置」枠から支出されることになっていたが、復興事業予算との競争になった。なんとか事業継続が認められ、探査機の製造が急ピッチで進む。

一般的に、宇宙機は正式プロジェクトが認可されてからおよそ5年で打ち上がる。開発期間を延期することはあっても短縮することはないのが宇宙の世界。そこで約3年である。打ち上げウインドウは、地球と小惑星の位置関係とロケットの能力で物理的に決まるので、動くことはない。つまり、どうあっても3年で作り上げねばならないのだ。

紆余曲折の末、2014年9月20日、完成した「はやぶさ2」は、相模原の宇宙科学研究所から種子島に出荷され、12月3日、よく晴れた空に一筋の航跡を残して宇宙へと旅立った。

 

「はやぶさ2」打ち上げ

タッチダウン成功が解った後、開発時、そして打ち上げ時のプロジェクトマネージャであった國中均教授の目からは涙が溢れ、ハンカチで目頭を押さえる姿が見られたという。


今回のタッチダウン成功により、日本は地球外の複数の天体から離陸を行った国となった。

次回、あるいはその次はインパクタによる人工クレータ生成とそこへのタッチダウンが待っている。リュウグウ探査におけるハイライトとなるだろう。また、これが成功すると、「はやぶさ2」は、地球外の天体から複数の離着陸を行った最初の探査機となる。次はどのようなリュウグウの景色が見られるのか。今から楽しみでならない。

今年中にはリュウグウを出発し、地球への帰路に就く。帰還まで目が離せないプロジェクトだ。

インパクタの模型
登壇者
タッチダウン地点にマーカが貼られたリュウグウ模型。中央部の白い点がそれである。

(記事:金木利憲)