H-ⅡAロケット50号機 コア機体公開取材

三菱重工業株式会社(以下、三菱重工)は2024年9月25日(水)、愛知県海部郡飛島村にある三菱重工飛島工場で、H-ⅡAロケット50号機のコア機体を公開しました。

コア機体とはH-ⅡAロケットを構成する部分のうち、1段と2段、そして1段と2段を結合する段間部を指します。
コア機体以外の部分、衛星を保護するフェアリングと固体ロケットブースタは別の場所で製造されています。そのため、それぞれの部分が種子島宇宙センターに運び込まれた後、コア機体に組付けられH-ⅡAロケットは完成します。

搭載される衛星は温室効果ガス・水循環観測技術衛星『GOSAT-GW』。二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスを観測する衛星シリーズ『GOSAT』の3番目となる衛星です。『GOSAT-GW』には温室効果ガス観測センサーと共に高性能マイクロ波放射計も搭載され、地表面や大気の水(雨、雪、水蒸気、海面水温など)の観測も行います。
打上げは2024年度内の予定で、詳細な日時については調整が進められています。

2001年に初めて打上げられたH-ⅡAロケットは今回公開された50号機が最終号機となり、H3ロケットにその役目を引き継ぎます。

50号機の第1段コア機体は、どのような衛星でも打上げられるよう、固体ロケットブースタであるSRB-Aを4本装着する204仕様で製造されています。SRB-Aを4本装着するための基部や、大きなエンジンカバーが外見上の特徴です。
『GOSAT-GW』はSRB-Aが2本でも打上げられる重量のため、実際の打上げではSRB-Aを2本装着する202形態となります。

質疑応答で三菱重工 防衛・宇宙セグメント 宇宙事業部からの登壇者、頴川健二 H-ⅡAロケット プロジェクトエンジニア、田村厚俊 マネージング・エキスパートはH‐ⅡA最終号機への思いを語りました。

頴川「ロケットに関わり始めて以来ずっと工場にいたH-ⅡAがいなくなるのは感慨深く、寂しい思いもあります。最終号機だからといって意識することなく、普段通りに仕事をこなして確実に打上げを成功させたい」

田村「1号機からどれひとつとしてやさしい打上げというものは無く、緊張の場面を乗り越えて成功を続けてきたと思っています。これもひとえに顧客、JAXA(宇宙航空研究開発機構)、パートナー社、地元の応援して下さった方々の協力のお蔭と思っています。応援して下さった方々に49号機、50号機の成功を届けるのが我々のH-ⅡAに対する最後の使命」
「H-ⅡA以前のロケットは10号機未満でしたが、50号機まで続いたのは感慨深いです。ただそれは49号機、50号機を成功させて改めて感じたいと思います」

日本の宇宙開発においてH-ⅡAはどのようなロケットであったのか、所感を尋ねてみました。

田村「H-ⅡA以前のロケットでは開発を進め技術を習得して終わりでしたが、H-ⅡAではJAXA(初飛行当時はNASDA:宇宙開発事業団)の下の製造メンバーから始まり製造プライム、最後は打上げ輸送サービス事業者となり責任も徐々に重くなるという過程で育てられてきました。技術開発の段階からビジネスまでつながったことにH-ⅡA/B(H-ⅡAロケットと派生型のH-ⅡBロケット)の価値があったと感じています」

頴川「日本の基幹ロケットとして長きに渡って日本の宇宙輸送の中心を担ってきました。その長い期間で田村が申し上げたように経験を積み重ね成長させてもらったので、とても感謝してます」

左:頴川健二 H-ⅡAロケット プロジェクトエンジニア
右:田村厚俊 マネージング・エキスパート

H-ⅡAロケット50号機は9月27日(金)に飛島工場から出荷されました。9月30日(月)に南種子町の島間港で水切り(陸揚げ)、22時頃から陸送が行われ、10月1日(火)未明に種子島宇宙センターに搬入されました。輸送用のコンテナには最終号機記念と感謝のメッセージが貼られていました。

島間港から種子島宇宙センターへ、H-ⅡAロケット最後の陸送

取材時には貼られていませんでしたが、コア機体の段間部にも記念のシールが貼られる予定です。
また、コア機体公開翌日の9月26日(木)にはH-ⅡAロケット49号機が打上げられ、無事成功しました。

20年以上に渡り日本の宇宙開発を支えたH-ⅡAロケットがいよいよ最後の打上げを迎えます。

文、写真(飛島工場)、図:樋口厚志
写真(種子島内陸送):渡辺祥馬