【レポート】はやぶさ2、計画開始から小惑星リュウグウ到着まで

リュウグウ到着

2018年6月27日(水)午前9時54分、JAXA宇宙科学研究所の管制室に津田雄一プロジェクトマネージャの声が響いた。

「これで、はやぶさ2はリュウグウに到着したと判定したいと思います。皆さん、おめでとうございます」

2014年12月3日の打ち上げ以来1301日、小惑星探査機「はやぶさ2」の往路完走の瞬間だった。

 

リュウグウ到着確認時(9時54分 JST)の管制室のようす  動画:(C)JAXA

往路の航海は順調に進んだが、そこに至るまでの道は平坦ではなかった。12年にわたるその歩みを、開発開始から打ち上げまでを中心に振り返っておこうと思う。


「はやぶさ2」略年表

2006/04 次期小天体探査ワーキンググループ立ち上げ、検討開始
2007/06 プリプロジェクト(研究フェーズ)移行
2010/08 開発研究フェーズ移行
2012/01 開発フェーズ移行
2014/12/03 13:22:04(JST)、種子島宇宙センターよりH-IIA 26号機で打上げ
2015/12/03 地球スイングバイ
2018/06/27 小惑星1999JU3「リュウグウ」到達


「はやぶさ」後継計画立ち上げ

「はやぶさ2」は、難産だった。

計画が立ち上がったのは、2006年4月のことだった。この月に初代「はやぶさ」の次の探査計画を検討する「次期小天体探査ワーキンググループ」が発足した。

この時点で初代「はやぶさ」は困難の中にいた。2005年12月8日、小惑星イトカワへのタッチダウン後に生じた故障によって通信が途絶、行方不明となった。再発見されたのが2006年1月23日のこと。通信は復旧したものの、地球帰還を2007年夏から2010年夏に延期しており、3年も長くなった航行期間中、致命的トラブルを抱えた小さな探査機が持ちこたえられるのか危ぶまれる状況であった。しかしながら「はやぶさ」はイトカワの探査において世界初の成果をいくつも上げており、日本は小惑星分野では世界のトップを独走している状態にあった。一方、世界に目を向ければアメリカがOSIRIS計画を立ち上げつつあり、追撃が始まっていた。成果をより拡張し、将来的にもトップであり続けるために、後継機が必要と考えられたのである。

2006年10月2-6日開催の第57回国際宇宙会議(IAC-2006)で初代「はやぶさ」の川口淳一郎プロジェクトマネージャは”Hayabusa – Its Technology and Science Accomplishment Summary and Hayabusa-2″という発表をしている。(発表No. IAC-06-A3.5.2)

参考:IAC2006論文集

この年の11月29日に「はやぶさ」プロジェクトサイトに「「はやぶさ」の近況と 「はやぶさ-2」 にむけて」という長文記事が載った。その中にはこのような文章があった。

「はやぶさ」ももう過去のものです。 若い人たちが、「はやぶさ」を超えてほしいものです。

先手をとられたとは、打たれてはじめてわかるもの。すぐれた企画とは、先手をうつこと。

はやぶさ-2 ができないと、せっかく日本が先手を打っていながら、先行される可能性。残念ながら、内示される来概算で通る可能性は高くないと言われている。なんとか、声をあげたいところ。応援もほしいです。

―「はやぶさ」の近況と「はやぶさ-2」にむけて(「はやぶさ」プロジェクトサイト)2006年11月29日

参考:「はやぶさ」の近況と「はやぶさ-2」にむけて(「はやぶさ」プロジェクトサイト)

翌2007年4月、JAXAは月惑星探査推進グループ(JSPEC)を設立し、「はやぶさ」後継機の計画の検討はここに引き継がれた。設立翌月に発行されたISASメールマガジン第139号に掲載された川口淳一郎教授の文中に、以下のような一文がある。

 次期あるいは次次期の中期計画に向かって、SELENE後継機、はやぶさ後継機といった喫緊の新たな探査プロジェクトを立ち上げていくことがまずとりくみ、また解決すべき課題です。
―ISASメールマガジン139号

参考:ISASメールマガジン139号(2007年5月15日発行)

この年の6月、世論の後押しを受け、宇宙開発委員会によって「JAXAが早急に行うべき計画」と判断され、8月末、はやぶさ後継機計画は研究フェーズ(プリプロジェクト)に移行した。


なぜ「リュウグウ」が選ばれたのか

観測する小惑星がひとつだったなら、その星のみの情報でしか研究ができない。だが次なる探査によってもう一つ増えたなら、比較ができる。それによって情報を立体視できるようになり、同じものを見たときに得られる知見の質が上がる。更にまた別の星に行けたなら、この知見は拡張されていく。こうしたプランにのっとった探査計画を「プログラム探査」という。

「はやぶさ」後継機の計画は、まさにプログラム探査化を目論んだものであった。「はやぶさ2」は得られる知見を最大化するため、当初から初代「はやぶさ」とは異なるタイプの小惑星を目指すことを前提に計画が進められた。

具体的には、「はやぶさ」が行った「イトカワ」はS型という分類で、「はやぶさ2」が行く「リュウグウ」はC型という分類になる。

どの小惑星に行けるのかは、ロケットの能力と探査機のエンジン(「はやぶさ」シリーズの場合はイオンエンジン)の能力、そして打上げの時期によって決まる。この制約下で行けるC型小惑星を選んだところ、「リュウグウ」が最もよく条件に当てはまった。これが目的地が「リュウグウ」になった理由である。

参考:小惑星の種類と探査(はやぶさ2プロジェクトサイト)

小惑星の物質を調べる(月探査情報ステーション)


難航する予算調達、ファンによる応援

「はやぶさ2」の目指す小惑星1999JU3(のちに「リュウグウ」と名付けられる)へのランチウインドウは、2010年、2011年に開く。この時点ではこのウインドウでの打ち上げを目標に検討が行われ、5億円の予算が要求された。これは研究開発費と部品の先行発注費(宇宙機の開発には通常5年程度かかることから、必要な部品等の先行発注が必要となる)を含んだ金額である。予算を主管する財務省やJAXAの主管官庁である文部科学省も数億円程度の予算を付けることを提案したが、結局JAXAの内部調整により5000万円に留まった。JAXA予算総額はさほど変わらない以上、はやぶさ後継機に予算を割くことは、他の計画の予算が削減される事を意味する。宇宙科学衛星を見渡してみても、赤外線観測・X線観測・月探査・太陽観測・惑星探査などの分野が並行して進んでおり、そこにはやぶさ後継機が割り込むと他の分野の打ち上げが先送りされることになる。

更に、2007年度という年は、従来の計画に加え新たに大きな予算を必要とするプロジェクトが始まろうとしている年でもあった。具体的には国際宇宙ステーション日本実験モジュール「きぼう」の打ち上げと運用、情報収集衛星の本格的な開発運用が始まったのである。どちらも単発の計画ではなく、本格稼働すれば大規模な金額が今後10年以上にわたって必要とされる。やることは増えているのに予算総額が増えないという、ジレンマの中での予算要求だった。

2007年9月3日の時点で、2010年のウインドウは放棄され、2011年のみが計画書に残っていた。

次年度予算の折衝がほぼ終わった10月、JAXAは理事長の定例記者会見で「はやぶさ」後継機計画に触れ、「予算不足のため国産ロケットでの打ち上げは断念し、他国のロケットでの打ち上げを行うこととする」という基本方針を示した。ロケットのための予算が付かないのであるから、無償で打ち上げてくれる相手を探さねばならなくなった。困難が予想されたが、翌2008年1月上旬、イタリア宇宙機関(ASI)の申し出により、開発中のヴェガロケットを無償提供する代わりにイタリアの観測機器を載せる、という提案がされた。「はやぶさMk.2(欧州名:マルコ・ポーロ計画)」である。しかしこの計画は後に欧州宇宙機関(ESA)の宇宙科学部門で水星探査機「ベピ・コロンボ」および火星ローバ「エクソマーズ」が大幅な予算超過を起こし、「はやぶさ」後継機打ち上げロケットに割ける予算がなくなったために放棄されることになった。

その後も低空飛行が続く。2007年の11月には、JAXAの次期中期計画が策定されることになっていた。この計画は今後5年の宇宙開発の方針を定めるものであり、ここに載ればJAXAがやると意思決定した事になる。

ここで起ったのが、宇宙開発ジャーナリストであり、このころの「はやぶさ」ファン達の間で一次情報として扱われていたブログ「松浦晋也のL/D」の松浦晋也氏の呼びかけであった。

参考:松浦晋也のL/D「はやぶさ2に向けて、最後のお願い」(2007年10月11日)

この記事は有志による「はやぶさまとめwiki」や2chの関連スレ、mixiのコミュニティや個人ブログによって広まり(当時日本で著名なSNSと呼べるのはmixiくらいなもので、公式サイトや2chに日参して情報収集をしたものだった)、反響を生んだ。事態の推移を見守り、自分たちに何か出来ることはないかと意見交換をしていたファンにとって、アクションを起こせるチャンスがあると提示されたことは、きっかけとしては充分だった。次期中期計画への一般意見公募に、「はやぶさ2」を推進するよう意見を送るのが効果的だと知ったファンが次々と投書をした。その数はかつてないほどであったという。かくして「はやぶさ2」は、ここも乗り切った。

年度が替わって2008年4月、ついにJAXA公式サイトにプロジェクトページができた。一歩前進だった。打ち上げロケットがH-IIAとされたのもほぼ同時期であった。

参考:はやぶさ2プロジェクト公式ページ(当初から何度かのリニューアルを経て現在の形になっている)

2009年度、第三の試練が訪れる。この年、政権与党が民主党になった。そう、事業仕分けである。JAXAは翌2010年度の「はやぶさ2」予算として、当初16億3000万円の要求を予定していたが、政権交代を経て5000万円の要求に減額した。そしてそれが事業仕分けの「縮減」判定を受け、3000万円まで減ってしまった。


初代「はやぶさ」帰還による追い風

翌2010年度は、初代「はやぶさ」帰還の年。6月13日夜、数々の困難を人智で乗り切って、満身創痍の状態での帰還に日本中が沸き返った。7月5日、帰還カプセルの中には「イトカワ」の微粒子が入っていると確認された。これで「はやぶさ」は、非の打ち所のない完璧な成功を収めたことになった。すなわちマスメディアなどに「失敗」という文字を書かれることはなくなったのだ。

羽田に着陸する「はやぶさ」カプセル輸送機。2010年6月17日夜 撮影:金木犀

およそ2ヶ月後の8月に、宇宙開発委員会によるプロジェクト開発研究移行の事前評価で「概ね妥当」と判断され、「はやぶさ2」は開発研究フェーズに移行した。

【池上委員長】 ほかに何かございますか。
もしございませんようでしたら、「はやぶさ2」についても御了承いただいたということでよろしゅうございますか。

(「はい」の声あり)
―宇宙開発委員会 平成22年第29回(2010年8月11日)議事録

参考:宇宙開発委員会 平成22年第29回(2010年8月11日)議事録
同 配付資料(委29-1-2が「はやぶさ2」に関するもの)

30億円の予算が付くことになったが、これは通常の予算ではなく「日本再生重点化措置」という特別枠の中から支出されることになっていた。この枠は政治的な綱引きで決まる。「はやぶさ」ブームによって「はやぶさ2」は末期症状を呈していた民主党政権の支持率アップのための道具にもなってしまったのだ。事業仕分けは壮大な劇場だったのか。「縮減」判定はどこにいってしまったのだ。

このような煽りを受け、計画は後ろ倒しになった。2011年度のウインドウは断念され、2014年の打ち上げ予定となった。

そして2011年3月11日、東日本大震災発生。未曾有の大災害に、日本は大きなダメージを受けた。このような中に始まった初代「はやぶさ」の帰還カプセルの全国巡回展示は、明るい希望をもたらした。日本の宇宙開発プロジェクトとしては空前絶後の3本の映画の制作が発表されるなど、「はやぶさ」とその後継機には非常に強い追い風が吹いた。

この年の5月、「「はやぶさ2」プロジェクトチーム」が発足した。

続く2012年度予算も、「日本再生重点化措置」枠から支出されることになっていたが、復興事業予算との競争になった。なんとか事業継続が認められ、探査機の製造が急ピッチで進む。

一般的に、宇宙機は正式プロジェクトが認可されてからおよそ5年で打ち上がる。それも、毎年順調に予算が付いての話だ。

「はやぶさ2」は、2011年度末(2012年1月)にJAXAの正式プロジェクトになった。開発期間を延期することはあっても短縮することはないのが宇宙の世界。そこで約3年である。打ち上げウインドウは、地球と小惑星の位置関係とロケットの能力で物理的に決まるので、動くことはない。つまり、どうあっても3年で作り上げねばならないのだ。異例の短さであったため、全く新規の設計を行うことはできず、その機体は初代「はやぶさ」を改良したものとなった。


開発段階への移行

2012年1月、宇宙開発委員会において「はやぶさ2」プロジェクトは開発段階への移行が了承された。これによって「はやぶさ2」探査機の開発・各種試験・フライトモデル製作が開始された。

2012年度から、一般人がJAXAに対して寄付をできるようになった。集まった約3663万円の一部、約1922万円を使って、「はやぶさ2」底面に、打ち上げ後のサンプラーホーンの伸展をモニタする小型カメラが搭載されることになった。画像が取得できるかどうかはわからないが、このカメラは小惑星と直接向き合うことになる。私たちの目だ。未知の世界と直接向き合うものを寄付金の使い道に選んだのは、スタッフからの恩返しなのかもしれないとも思っている。

2014年8月31日、宇宙に行く「はやぶさ2」実機(フライトモデル:FM)が報道公開された。
ついで9月20日、FMは相模原の宇宙研より種子島に向け、出荷された。
関係者の万歳三唱と、ファン有志や相模原市立博物館職員らの「いってらっしゃい」の声に見送られての旅立ちだった。

関係者の万歳三唱とともにトレーラ出発。
掲げる横断幕はファンが贈ったもの 撮影:金木犀

ファンが掲げた「いってらっしゃい」の横断幕 撮影:金木犀

出発を見守るファン有志たち 撮影:金木犀

JAXA宇宙科学研究所正門を通過するトレーラ 撮影:金木犀


打ち上げからリュウグウ到着まで

最後の難関は打ち上げであった。2回の延期があったのだ。

2014年9月20日に発表された当初の打ち上げ予定日時は、2014年11月30日(日)13時24分48秒(日本標準時)であった。しかし天候が打ち上げ要件を満たさないことが予想されたため、平成26年12月1日(月)、打上げ時刻13時22分43秒(日本標準時)延期され、更に12月3日(水)13時22分04秒(日本標準時)に延期となった。

打ち上げ日はよく晴れた、気持ちの良い日であった。サトウキビ畑の向こうに立ち上がった噴煙の柱は、心地よい轟音を残してぐんぐん上空へと延びていった。打ち上げから1時間47分21秒後の15時10分4秒、「はやぶさ2」はH-IIAロケット26号機から切り離された。見事な成功だった。

はやぶさ2打ち上げ 撮影:金木犀

同月中にクリティカルフェイズを終え、翌2015年3月までに初期機能確認を終え、問題がないことが確認された「はやぶさ2」は巡航フェーズに入った。当時のプロジェクトマネージャ、國中均JAXA教授は以下のようなコメントを残している。

武運を信じ、いざ深宇宙動力航行に挑まん。両舷前進強速。進路、地球スイングバイ回廊。

―2015年3月3日付JAXAプレスリリース

参考:2015年3月3日付JAXAプレスリリース「小惑星探査機「はやぶさ2」(Hayabusa2)小惑星1999 JU3に向けた航行段階(巡航フェーズ)へ移行」

これを見届けたかのように、4月1日付でプロジェクトマネージャが國中均JAXA教授から津田雄一JAXA准教授へと交代となった。

2015年12月3日、地球スイングバイ。19時8分にハワイ諸島付近の上空約3,090kmを通過し、小惑星「リュウグウ」への軌道に入った。

スイングバイ成功を告げるプレスリリースで津田プロジェクトマネージャはこう書いている。

小惑星探査機「はやぶさ2」はスイングバイにより軌道エネルギーを獲得し、これより地球を離れます。進路「Ryugu(リュウグウ)」。それでは地球の皆さん、行って参ります。

―2015年12月14日付JAXAプレスリリース

参考:2015年12月14日付JAXAプレスリリース「小惑星探査機「はやぶさ2」の地球スイングバイ実施結果について」

言葉の通り、二度のイオンエンジンの連続運転も大きなトラブルなく乗り切り、2018年6月27日(水)午前9時54分、小惑星「リュウグウ」へ到着の運びとなった。

記念撮影の一コマ。上にはリュウグウの想像模型、はやぶさ2模型がある。

以前、宇宙科学研究所のOBから「地上でトラブルを起こさなかった機体は、宇宙でトラブルを起こす」という言い伝えを聞いた。初代「はやぶさ」は宇宙でトラブルを起こしたものの不死鳥のように蘇って地球帰還を果たしたが、「はやぶさ2」は地上で苦しめられつつも不死鳥のように蘇り、宇宙では順調に往路を乗り切った。

リュウグウ到着により、「はやぶさ2」は新たな局面を迎えた。工学実験機であった初代「はやぶさ」と異なり、今回は本番である。このまま無事に探査を行い、予定通り2020年に「竜宮城の玉手箱」であるサンプルカプセルを手土産に地球に帰還することを願ってやまない。

【記事:東京とびもの学会/金木犀】