2026年8月13日、宇宙航空研究開発機構(以下、JAXA)は火星衛星探査計画「MMX」の探査機(以下、MMX探査機)の報道公開を行いました。報道公開レポートの前編では、MMXのミッションの概要と、サンプル採取に関連する主なミッション機器を紹介しました。
火星衛星探査に挑むJAXA「MMX探査機」の全貌 報道公開レポート(前編)
本記事は報道公開レポートの後編として、科学観測を担うMMX探査機の主な観測装置と、観測装置にとって厄介な「ある問題」を中心に紹介します。

(左) 三菱電機株式会社 MMXプロジェクト統括部長 上原晃斉
(右) JAXA宇宙科学研究所 MMXプロジェクトマネージャ 川勝康弘
MMX探査機は火星衛星フォボスに着陸して表面のサンプルを採取します。しかし、フォボスのどこに着陸するかはまだ決まっていません。理由はMMX探査機による観測を通じて着陸に適した場所を見つけるからです。着陸場所はどこでもいいわけではなく、平坦で岩の少ない”安全な地形”かつ、科学的に価値のある”興味深い地質”である必要があります。そのような場所を見つけるには、フォボスの地表を詳しく調べるしかありません。
そこでMMX探査機には、最適な着陸場所を見極めるための強力な「目」として、科学観測用の望遠カメラと広角カメラが搭載されています。
火星衛星の素顔に迫る望遠カメラ「TENGOO」
望遠カメラは「TENGOO」と呼ばれ、火星と火星衛星の高解像度画像の撮影に使用されます。名前は「天狗」に由来するそうです。画素数は約820万画素。小惑星探査機「はやぶさ2」の望遠カメラ(ONC-T)が約100万画素であることと比較すると、実に8倍もの画素数です。TENGOOが撮影する高精細な観測画像は、フォボスの詳細な地形マップの作成に用いられ、のちに控える着陸地点の安全性を確認するための重要な手がかりとなります。
TENGOOは探査モジュールに搭載されています。しかしよく見ると、TENGOOと全く同じ形状のカメラがもう1台搭載されていることが分かります。こちらは「CAM-T」と呼ばれる航法カメラで、性能はTENGOOと同じですが、科学観測用ではなく、主に探査機が自律的に位置や進路を測る「ナビゲーション(航法)」のために使用されます。

TENGOOは科学観測、CAM-Tは航法。両者の用途は異なっていますが、フォボスの地形マップ作成の際は両者を併用して行われます。、同じ性能のカメラを2つ使ってマップ作成を効率よく行えるよう、双方の視線は対角線方向にずらしてあるそうです。
8つの頭を持つ広角分光カメラ「OROCHI」
広角カメラの名前は「OROCHI」。複数の波長で撮像する分光カメラとして使用されます。名前は大蛇に由来。オロチと聞くとヤマタノオロチが思い浮かびますが、OROCHIはその名の通り、8つのカメラヘッドで構成されています。
カメラの内訳は以下の通り。
・7台の広角カメラ(7つのイメージセンサと7つのフィルター)
・1台のモノクロカメラ(着陸時に使用する近接撮影用カメラ)
8台ものカメラで構成されているのには理由があります。例えば「はやぶさ2」の分光カメラは1つのイメージセンサと、複数のフィルターを持つ「フィルターホイール」を組み合わせてフィルターを切り替えることで分光撮影を行っていました。この方式はイメージセンサが1つで済む利点がありますが、フィルターを切り替える間に被写体が動いてしまうと、複数の波長で撮った画像を重ね合わせた時に像がズレてしまいます。しかしOROCHIは7つのフィルターにそれぞれイメージセンサがあるため、7波長の画像を同時に撮影することでズレの無い多波長画像が得られるのです。
OROCHIにある1台のモノクロカメラは近接撮影用で、着陸時にピントが合う設計になっています。着陸時に地表の高解像度画像を撮影する際に使用されます。

箱の中央にあるのは着陸時にフォボス表面を照らすLEDライト
火星も観測する近赤外分光装置「MIRS」
MMX探査機の大きな特徴が、海外から提供された観測装置を2つ搭載している点です。
その1つが、フランスから提供された近赤外分光装置「MIRS」。この装置の役割を一言で言うと、火星衛星表面の「鉱物分布」を明らかにすること。火星衛星は内部に水の氷を含んでいると考えられており、地表には水と岩石が化学反応を起こした「含水鉱物」が存在しています。
そしてMIRSは水(氷)や含水鉱物の存在を捉えられる「3μm帯」という特定の波長を詳しく観測できます。MIRSの観測によって火星衛星表面の氷や含水鉱物の分布が分かり、観測データから火星衛星が歩んだ歴史や太陽系全体における「水の移動履歴」の解明ができると期待されています。フォボスに科学的に興味深い場所があれば、着陸場所の有力候補にもなるでしょう。
また、MIRSの観測対象は火星衛星だけではありません。フォボスとほぼ同じ軌道(火星の赤道面付近・高度約6,000km)を周回する特性を活かし、火星大気に含まれる水蒸気やダスト(塵)を観測します。これにより、従来の極軌道探査機では捉えにくかった、低〜中緯度地域における火星大気の気象変動を継続的にモニタリングすることが可能になります。MIRSによる独自の観測データと、これまでの観測データを組み合わせることで、火星気候学に新たな知見がもたらされるでしょう。

火星衛星の起源を見通す「MEGANE」
海外から提供されるもう1つの観測装置が、アメリカが提供するガンマ線・中性子分光装置「MEGANE」です。名前の由来は「眼鏡」。先述のMIRSが火星衛星の「鉱物分布」を明らかにするのに対し、このMEGANEは火星衛星の「元素組成」を明らかにします。
MMX探査機が目指す火星衛星フォボスはその「起源」が大きな謎に包まれています。有力視されている起源の仮説には、火星の近くを通過した小惑星が火星の重力に捕らえられたとする「捕獲説」と、火星に天体が衝突した際の破片が集まってできたとする「衝突説」の2つがあります。このどちらのルートで衛星が誕生したかによって、フォボスが持つ元素組成は大きく異なります。そこでMEGANEがフォボスの元素組成を高い精度で調べることで、「フォボスはどちらの仮説で生まれる元素組成に近いか」が分かります。これによりフォボスの起源を決定づけることができると期待されています。

TENGOOの撮影画像で作られるフォボス表面の詳細な地形マップと、OROCHI、MIRS、MEGANEの分光観測によってもたらされたフォボスの地質情報。これらの情報を元に、安全で興味深い地質のある魅力的な着陸場所、すなわちサンプル採取地点が選定されます。なおサンプル採取時に使用するミッション機器は報道公開レポートの前編で詳しく紹介しています。
飛散するレゴリスが巻き起こす悲惨
フォボスに着陸したMMX探査機はサンプル採取を終えた後、スラスタを地表に噴射して離陸します。このとき地表の砂(以下、レゴリス)はスラスタの噴射ガスで勢いよく舞い上がり、一部は機体の下部に付着します。そこはTENGOOやOROCHIといった観測装置がある場所です。そこにレゴリスが付着すると「ある問題」が起こります。
時に2019年2月。「はやぶさ2」は小惑星リュウグウにタッチダウンし、サンプル採取後にスラスタを噴射して離陸しました。この時、舞い上がったレゴリスが機体下部の広角カメラ(ONC-W1)やレーザーレンジファインダ(LRF)などに付着し、いずれも受光量が半分近く低下。「レンズが曇った」状態となり、タッチダウン時に安全に使用できる高度に制限がかかるなど、その後のミッションに影響が出る事態となりました。
これと同じことがMMX探査機でも起こり得ます。しかも離陸時のスラスタ噴射だけでなく、着地時やサンプリング装置を使用した時にもレゴリスが飛散するため、状況は「はやぶさ2」の時よりも厳しいと言っていいでしょう。さらにMMX探査機は2回のフォボス着陸「後」にダイモスのフライバイ観測を行うため、カメラへのレゴリス付着はダイモス観測データの品質低下につながります。
ですがご安心ください。こんなこともあろうかと、MMX探査機には飛散レゴリスへの対策が施されています。望遠カメラ「TENGOO」はレンズを覆うフードを長くしてレゴリスの侵入を可能な限り防ぎ、広角カメラ「OROCHI」と近赤外分光装置「MIRS」には開閉可能なカバーを設置し、着陸の際はカバーを閉じてレゴリスをシャットアウトします。ガンマ線・中性子分光装置「MEGANE」は銀色のMLI(多層断熱材)ですっぽりと覆われています。
MMX探査機ははやぶさ2の貴重な教訓から学んだ万全の対策を携えて、火星衛星に挑みます。

フォボスに一番乗りするローバー「IDEFIX」
MMX探査機にはフランスとドイツが共同で開発したローバー(探査車)が搭載されています。ローバーの愛称は「IDEFIX(イデフィックス)」。着陸後に展開する車輪と太陽電池パネルを折り畳んだ状態で、全長は約45cm、重さは23.5kg。オフィス向け卓上レーザプリンターを思わせるサイズ感です。
IDEFIXの目的は、MMX探査機に先駆けてフォボスに着陸して地表を調査すること。最低でも100地球日(地球の時間で100日)以上に渡って運用される予定です。集められた観測データはMMX探査機を介して地球へ届けられます。
ちなみに車体には、MMXの応援キャンペーン「#グッドラックMMX」で国内外から募集したメッセージを収めたSDカードが搭載されています。SDカードはIDEFIXの他、サンプルリターンカプセル(SRC)にも搭載されています。

ローバーから生えている灰色の構造物は着陸時に太陽電池を保護するための緩衝材だ
世界から望みを託されて
MMX探査機には世界各国が開発した最新のミッション機器が組み込まれており、日本主導の宇宙探査としては過去最大の国際協力プロジェクトとなります。

大規模な国際協力が実現した背景について、川勝プロジェクトマネージャ(PM)は「『はやぶさ』や『はやぶさ2』の小天体探査、それからサンプルを採取するという難しいミッションを成功させてきたという実績があるので、小天体探査やサンプルリターンをやるんだったら、アメリカやヨーロッパが自分でミッションを立ち上げるよりも、日本が立ち上げるミッションに乗った方が確実に成功する、という考えで参加してくれていると思うんです」と述べていました。

ところで、MMX探査機にはこれまでの日本の探査機のような「のぞみ」や「はやぶさ」といった和名の愛称はありません。探査機に愛称をつける予定はあるのか、川勝PMに尋ねたところ「今のところ考えているものはありません」とのことでした。世界中の注目を集める国際的なプロジェクトだからこそ、海外の人にもストレートに伝わる「MMX」のままである方が、むしろ世界中の人々に親しまれやすいのかもしれません。
実は筆者自身、火星衛星の探査構想が立ち上がった当初から動向を追い続けてきた、MMXの長年のファンの一人でもあります。最初は構想でしかなかったプロジェクトが、世界中の英知を結集した日本最大級の探査機へと進化し、打上げの時を待っている姿には、深い感慨を覚えずにいられません。
報道公開から1週間後、打上げ予定日が10月20日と告知されました。世界中の期待を乗せて、遂にMMX探査機の挑戦が始まります。かつて私たちが「はやぶさ」「はやぶさ2」の挑戦に胸を熱くしたように、今度はこの「MMX探査機」が、国境を越えて世界中の人々に愛され、応援されることを心から願っています。

最後に、報道公開で撮影した機体のクローズアップ画像を掲載します。機体の細部に興味のある方の参考になれば幸いです。






文、写真、イラスト:山賀康平